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伊久美産業の歴史

伊久美茶業の歴史

お茶の坂本園

毎年新茶を迎えるこの時期に、JA島田北支店茶業部及び地元関係者による坂本藤吉翁顕彰祭が改善センターで行われます。 頌徳碑前で献茶、引き続き法泉寺住職の読経の流れる中、藤吉翁の子孫、坂本厚さんから始まり、感謝のご焼香が次々と行われます。また、藤吉翁屋敷前の墓地でもお線香をあげられます。

最初、静岡へ「蒸製煎茶製造法」を導入したのは天保8年(1837年)で当時、志太郡伊久身村の坂本藤吉翁でした。 坂本藤吉翁は、寛政10年(1798年)伊久身小川に生まれ、村の有力者であり熱心な茶生産家でもありました。 碾茶は、以前から蒸製(青製)でしたが、当時のお茶は概ね窯炒り製で「黒茶」と呼ばれていました。

藤吉翁は、かねてより地元のお茶が粗悪と嘆き何とか改良工夫を考えていました。そんな時、偶然関西地方の商人から「宇治製煎茶」の優れていることを耳にしました。粗悪だった製茶技術の改良を図ろうと私財を投じて、天保8年(1837年)京都、宇治から茶師を招き、自宅に伝習所を設け栽培や製茶などの高品質化に情熱を注ぎました。

お茶の坂本園
設備(ホイロ)の点で苦労したが、出来たお茶は青製と呼ばれ、大変好評で高値で売れ、「坂本園」という銘を付けて江戸へ出荷し、茶商はじめ、諸藩の好評を得て、苦心がようやく報いられ喜びに浸りました。3年連続の伝習が終わった年に、多大な犠牲と命がけの仕事だった為、心労も重なり突然の病魔に襲われ42歳と云う若さでこの世を去りました。 この遺徳を偲び顕彰し、明治24年静岡市の浅間神社境内に「阪本藤吉製茶之碑」を建設されました。 更に、大正13年地元伊久身村青年団によって、時の皇太子殿下の御成婚記念として、「製茶元祖坂本藤吉頌徳碑」が建てられました。 坂本藤吉翁のような熱意と努力で、生涯茶業に捧げた偉業、功績がなかったら今日の郷土の茶業の発展は無かったかも知れません。

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